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東京高等裁判所 昭和44年(う)1482号 判決 1970年6月30日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月に処する。

原審および当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

<前略>

二、原判示第二の事実(封印破棄、不動産侵奪)に関する控訴趣意について

(一)、封印破棄の事実に関する理由不備の主張(小川弁護人ほか一名の趣意書第二点、(1)、(イ)および大塚弁護人の補充書第二点、(1)、(イ))について

所論は、原判決は公示札の移動をもつて、ただちに封印破棄罪が成立するかのように判示しているけれども、同罪が成立するためには、その公示札を場所的に移動することによつて、公示の効果が滅却ないし減殺されたことが必要であり、従つて判文上、公示札を移動したことが、如何なる意味において、公示の効果を滅却ないし減殺することとなるのか具体的に認定判示されていることが必要であるから、原判決には、右の点において、理由不備の違法があるというものである。

しかしながら、原判決は、所論封印破棄の事実について、「ほしいままに右公示札を移動しブルドーザーを使つて同所を切り崩して整地し、以て執行吏の施した差押の標示を無効ならしめ云々」と判示して、差押の標示である公示札を場所的に移動したことと、その公示札が公示している土地の現況に変更を加えたこととが相まつて、公示札の効用を滅却ないし減殺した趣旨を判文上明らかにすることによつて、その行為が刑法第九六条で規定する封印破棄罪のうちその他の方法をもつて差押の標示を無効たらしめた場合にあたることを具体的に明示しており、所論のように単に公示札を場所的に移動したことのみをもつて、封印破棄罪が成立すると判示しているのではないから、原判決には、所論の理由不備をおかした違法はない。論旨は理由がない。

(二)、不動産侵奪の事実に関する理由不備の主張(小川弁護人ほか一名の趣意書第二点、(1)、(ロ)および大塚弁護人の補充書第二点、(1)、(ロ))について

所論は、原判決は、被告人が侵奪した土地の範囲について、「市原市能満字下大貝塚一、九一四山林三反歩のうち七畝歩」と認定判示しているが、不動産侵奪罪は不動産に対する他人の具体的な占有を侵奪することによつて成立するものであるから、一筆のうち一部の土地を侵奪したと判示しながら、その侵奪した部分が、現地について、どの部分にあたるのかを明らかにしていない原判決には、理由不備の違法があるというものである。

しかしながら、原判決は、所論の点について、「同県市原市能満字下大貝塚一、九一四の一四山林三反歩(2,975.20平方メートル)のうちの北側同番の一三に隣接する部分約七畝歩(694.21平方メートル)」と判示して、侵奪した土地の範囲が約七畝歩であることやその七畝歩の土地が公簿上右に示したとおりの地番、地目、地積をもつて表示される土地の一部であり、かつその地番の土地の北側にある原判示一、九一四番の一三の土地に隣接する部分であることを明らかにしているばかりでなく、判文によれば、その七畝歩の土地はブルドーザーを使用して切り崩され、整地されて、一筆のうちの残余の土地とその現況がちがつていることやその七畝歩の土地が債権者石渡文衛ほか二名、債務者被告人間の千葉簡易裁判所昭和三九年(ト)第四号仮処分事件の係争地となり、同事件について発さられた同裁判所の仮処分決定正本(添付図面には係争地の周縁に沿つて、検尺の結果が記入されている。)に基いて、執行吏がその占有を取得した土地であることも明らかにされるので、不動産侵奪罪の客体の判示としては十分であつて、その特定において欠けるところがなく、たとえ公図上においてその侵奪した範囲が明確にされないとしても、それ以上に進んで、基点からの方角や距離を明らかにするなどの方法により判示する必要はごうも存しないのであるから、原判決には所論の非違がない。論旨は、理由がない。

(三)、不動産侵奪の事実に関する事実誤認の主張(小川弁護人ほか一名の趣意書第三点、(1)および小川弁護人の補充書第一、(1)並びに松本弁護人の趣意書第三点)について

所論は、被告人は、宅地造成のため、被告人所有の千葉県市原市能満字下大貝塚一、九一四番の一三の土地について、切り崩しなどして整地した事実はあるが、その隣接地、ことに原判示の係争地域すなわち同所下大貝塚一、九一四番の一四の土地のうち原判示約七畝歩の土地をとりこんだ事実がなく、仮に同地域をとりこんだとしても、それは整地にあたらせた被告人の使用人らが勝手にとりこんだものであつて、被告人の関知するところではなく、仮にその使用人らが被告人の指示に基いて行動したものとしても、両地はその隣接する部分において、境界が明確でなく、かつ執行吏が原判示仮処分決定の執行をした際、執行吏の占有に移した土地について、柵や標柱などをもつてその範囲を明確にし、占有部分を特定する措置を講じなかつたなどの事情があつたため、被告人はもちろん被告人の使用人らも、右とりこむに至つた土地は被告人の所有土地内にあり、かつ仮処分執行の対象たる土地には含まれないと信じて、とりこむに至つたものであり、被告人らには他人の占有を排除してまで、土地を切り崩し、整地を切り崩し、整地して、その土地を不法に領得する意思など毛頭なかつたのであるから、無罪であるのに、原判決が被告人について原判示不動産侵奪の事実を認定したのは、事実を誤認したものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるというものである。

しかしながら、原判決が同判示第二の事実について挙示した証拠と証人及川有朋の原審公判廷における供述および大原友次郎の検察官に対する供述調書によると、千葉地方裁判所執行吏宮内辰蔵が債権者石渡文衛の代理人である弁護士半田和朗から被告人を債務者とする原判示仮処分決定正本の執行を受任し、昭和三九年二月一五日その執行のため現地である千葉県市原市能満字下大貝塚一、九一四番の一四地先に臨み、債務者不在のため、成年者二名および債権者立会いのもとに、仮処分の目的土地を調査し、原判示約七畝歩(694.21平方メートル)の土地が仮処分決定正本に記載された目的土地と同一の土地であることを確認したうえ、その七畝歩の土地に対する債務者(被告人)の占有を解き、自己の占有に移して、不動産引渡の執行を了し、爾後同執行吏において右七畝歩の土地を占有保管していたところ、被告人はその周辺にある自己所有の土地をも含め、宅地に造成しようと考え、同年五月初旬頃国吉隆らをして右七畝歩の土地内にブルドーザーを入れて、土地の切り崩しなどの作業をさせ、また同月下旬頃には大原友次郎らをして右七畝歩の土地と前記下大貝塚一、九一四番の一四の土地のうち右七畝歩を除いたその余の部分との境界に沿つて、木柵を打ちこませ、有刺鉄線を張らせたうえ、同じくブルドーザーを使用して切り崩しなどの作業をさせ、情を知らない同人らをしてその頃から同年九月下旬頃までの間にその七畝歩の部分を切り崩し、削りとつた土は搬出させ、その七畝歩の土地の全域にわたり約三ないし四メートル程堀り下げさせて、同所を整地させた事実を明認することができる。そして右のような態様において、執行吏の占有する土地をとりこみ、その占有を排除して、自己の支配下に移す行為は、不動産侵奪罪にいう侵奪にあたるものと解するのを妨げないのであるから、被告人は執行吏の占有する前記七畝歩の土地を侵奪したものといわねばならない。ところで原判決は被告人が右七畝歩の土地をとりこんだ時期の点について、「翌一六日頃から同月下旬までの間」と判示しているので、その余の判示をも勘案すると、原判決は、当裁判所の前記認定と異り、その時期を昭和三九年二月一六日頃から同月下旬頃までの間と認定したものと読みとれないでもない。しかしながら、本件に現われたすべての証拠を精査しても、仮処分の執行された昭和三九年二月一五日以降前記のように国吉隆らが作業を開始した同年五月初旬頃までの間に、右七畝歩の土地内にブルドーザーを入れたことはもちろん、その他土地の現況に変更を加えた事跡が全く認められないばかりでなく、原判決の第二の事実に関する判示は、その侵奪の時期の点を除けば、起訴状(昭和四一年五月三一日付)記載の公訴事実と殆ど同一であることが認められるので、原判決はその公訴事実に「翌一六日頃から同年九月下旬頃までの間」とあつたのを、何らかの事情で、そのうち一部の字句を遺脱し、前記のように「翌一六日頃から同月下旬頃までの間」と判示してしまつたものであつて、原判決が「同月下旬頃」としたのは「同年九月下旬頃」の誤記であり、「同年二月下旬頃」という事実を認定したのではないと思われ、また「翌一六日頃から」と判示したのは、執行吏の設置した公示札が第一回の点検時(昭和三九年二月二〇日)までにぬきとられていることが関係証拠によつて明らかにされるので、封印破棄罪の成立時期を明瞭ならしめる関係において、そのぬきとられたのは、最も早くて公示札の設置された日の翌日すなわち昭和三九年二月一六日頃であることを示したにとどまり、不動産侵奪罪の成立時期を判示したものではないから、原判決は結局当裁判所の前記認定と同趣旨の認定をしたものということができる。原審記録に現われたその余の証拠を検討し、また当審における事実取調の結果に徴しても、当裁判所の前記認定、従つて原判決の右と同趣旨の認定に誤認があると思わしめるような点は、ごうも存しない。所論は、被告人が切り崩しなどの作業をしたのは、自己所有の土地であつて、これに隣接する原判示七畝歩の土地をとりこんだ事実がないと主張する。しかしながら、原判決挙示の実況見分調書添付図面と仮処分決定謄本添付図面の各記載を対照し、さらにその余の原判決挙示の証拠や前記原審証人及川有朋の証言および大原友次郎の検察官調書をも総合して考察すると、被告人が前記のように国吉隆、大原友次郎らに依頼し、ブルドーザーを使用して整地した地域は、仮処分決定謄本添付の図面でいえば、イ、ロ、ハの各点をもつて囲まれた地域であり、また実況見分調書添付の図面でいえば、ア、イ、ク、ソの各点をもつて囲まれた概ね三角形の土地(仮処分決定謄本添付の図面と異り、イ点のほかにク点が加えられたのは、その決定謄本添付の図面にも示されているとおり、以前はイ点からロ点に向い間入りと称する私道があつたので、その外側にあたる地点をク点としたことによる。)であること、その土地は実況見分のなされた昭和三九年二月二八日当時においては、ブルドーザーを二、三回入れた程度の現況にあつて、同図面上ア、イ、×の各点をもつて囲まれた三角形の土地(原判示下大貝塚一、九一四番の一四の土地の一部。雑立木が伐採されただけの未整地の地域。)よりは約三〇センチメートル程低かつたこと、その後同年五月初旬以降右国吉隆、大原友次郎らが、被告人の依頼により、ア、イの線(仮処分決定謄本添付の図面でいえば、ハ、イの線)に沿つて、木柵を設け、それに有刺鉄線を張りめぐらせたうえ、そのア、イ線から北側一帯にわたり、ブルドーザーを使用し、約三ない四メートル程掘り下げたことが認められるので、被告人は執行吏が原判示の仮処分決定を執行することにより占有を取得した原判示七畝歩の土地をとりこんだ事実が明白であり、所論は採用できない。つぎに所論は、右七畝歩の土地は、被告人の使用人らにおいて勝手にとりこんだものであり、被告人は関知しないと主張する。しかしながら、被告人が国吉隆、大原友次郎らを使用して原判示七畝歩の土地をとりこんだものであることは、さきに認定したとおりであつて、前掲証拠によりその経過をさらに敷衍すると、被告人は宅地を造成する計画のもとに、昭和三八年六月海宝武から原判示七畝歩の土地に隣接する同判示一、九一四番の一三の土地を買受け、その頃周辺一帯の土地をも入手して着々準備を整えたうえ、昭和三九年一月下旬に有限会社国吉運輸に、同年二月初旬に株式会社寒川興業にその宅地造成の工事を請負わせ、部下職員の片岡美夫や吉田孝を工事現場の監督者に任じ、立木伐採ついで土地の切り崩し作業を開始したところ、隣接地主石渡文衛その他から境界について異議が出たため、右石渡が自己の所有地と主張する原判示七畝歩の土地については、前記のとおり、仮処分執行後も、二、三度ブルドーザーを入れて約三〇センチメートル程掘り下げたままの状態で、作業を中止していたが、その後同年五月初旬頃に至り前記片岡、吉田を介して国吉隆(有限会社国吉運輸取締役)に対し、中止中の右作業の再開を促し、また同年五月下旬頃には大原友次郎を自宅に呼び寄せ、自ら木柵の設置場所を指示するなどして、右七畝歩およびその周辺土地に対する整地作業の実施を依頼し、「同人らをして前記のとおりブルドーザーを使用し、同土地を約三ないし四メートル程掘り下げさせたものであり、所論のように被告人が関知しないなどということはありえないことが認められるので、所論はとうてい容認できない。さらに所論は、被告人は、右七畝歩の土地が自己所有の土地内にあり、かつ仮処分執行の対象たる土地には含まれないものと信じていたのであるから、被告人には侵奪の故意ないしは不法領得の意思がなかつたと主張する。しかしながら、原判決挙示の証拠によると、原判示七畝歩の土地と同判示一、九一四番の一三の土地とは相隣接し、その境界は間入りと称する私道をもつて仕切られていて、古来その境界について関係者間紛議を生じたことなかがつたこと(原判決の挙示する高橋正一の捜査官に対する供述調書によると、公図上に右関係土地の分筆線が入れられたのは、昭和三五年一一月七日であることが明らかにされるので、同図面の記載は必ずしも正確でない。)、被告人は前記のとおり昭和三八年六月頃海宝武から右一、九一四番の一三の土地を買受けたが、その際被告人は小川泰蔵を自己の代理人として派遣し、売主から買受土地の引渡しをうけさせていること、その引渡した際し売主の海宝武は現地において小川泰蔵に対し右一、九一四番の一三と同番の一四との境界は、間入りと称する私道の内側であり、従つて原判示七畝歩の土地は被告人の買受けた土地には含まれないことを説明しているので、当時小川は被告人に対しその旨の報告をしたものと思われること、その後ブルドーザーによる整地作業が開始された昭和三九年二月初旬頃までは、右間入りと称する私道が残つていたこと、その私道が切り崩される直前である同年一月下旬頃被告人は境界確認のため現地に赴いており、その後も時折現地を訪れていたので、右私道の所在に気づいていたものと思われること、現に被告人は同年二月初旬前記株式会社寒川興業の運転手林一雄に対し、整地すべき土地の範囲は農道(前記私道のこと)の外側までであると述べ、原判示七畝歩の土地がその範囲に含まれない趣旨の指示を与えていること、その後整地作業が開始されてまもなく隣地の地主石渡文衛から境界について異議が出たため、前記のとおり、実況見分調書添付図面上ア、イ、×の各点をもつて囲まれた地域については、雑立木を伐採しただけで未整地のままの状態、またそのア、イの各点を結ぶ線から北側の部分にあたる原判示七畝歩の土地については、約三〇センチメートル程掘り下げたままの状態で、作業を中止しているうち、同年二月一五日原判示仮処分決定の執行がなされたこと、その仮処分の執行がなされた原判示七畝歩の土地のうち、右図面上に示されているア、イの各点を結ぶ線の両側にある土地は、右のとおり作業が中止されたままの状態にあつたため、両土地間に現況上約三〇センチメートル程の段落(その状況は記録四七三丁裏の写真八のとおり)が設けられており、イ点(仮処分決定謄本添付の図面におけるイ点)は石渡文衛所有の右一、九一四番の一五現況畑の北東端に位しており、またア点、タ点付近にはそれぞれ目印となるべき大きい杉の木が立つていたので、現地に出入りして境界に関心をもつていた者なら、原判示七畝歩の範囲を画す基点となるべき右の各点を識別できない筈はないと思われることが認められるので、たとえ被告人が原判示仮処分に立会つていなくても、また間入りと称する前記私道がその後掘り崩され、判別できない状態となつたとしても、はたまた執行吏が標柱などをもつて原判示七畝歩の範囲を明確ならしめた事実がなかつたとしても、その後整地作業が再開された昭和三九年五月初旬頃までには、原判示仮処分決定の正本や仮処分執行調書謄本の送達をうけていることでもあるから、被告人は仮処分の目的とされた原判示七畝歩の土地が、自己の買受けた土地の範囲に含まれないことや、その土地が現地においてどの範囲を占めているかを知悉していたものと認められ、従つて被告人に執行吏の占有を排除して、自己の支配下に移す意思があつたことが明らかであり、不動産侵奪罪の成立に必要な侵奪の故意ないし不法領得の意思に欠けるところがなかつたのであるから、この点に関する所論も採用できない。論旨は、理由がない。

(四)、封印破棄の事実に関する事実誤認の主張(小川弁護人ほか一名の趣意書第三点、(1)および小川弁護人の補充書第一、(2)並びに松本弁護人の趣意書第三点)について

所論は、仮に被告人の指示によつて、使用人らが公示札を移動した事実があつたとしても、それは整地の妨げとならないよう、少しばかり移動したにとどまり、公示札の効用を滅却ないし減殺した事実はなく、無罪であるのに、原判決が被告人について原判示封印破棄の事実を認定したのは、事実を誤認したものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるというものである。

そこで原判決がその判示する第二の事実について挙示した証拠、ことに実況見分調書および吉田孝、林一雄の捜査官に対する各供述調書を総合勘案すると、執行吏宮内辰蔵が昭和三九年二月一五日原判示仮処分の執行をするにあたり、原判示七畝歩の土地内すなわち実況見分調書添付の図面でいえば、ア、イ、ク、ソの各点をもつて囲まれた地域のうち、ア、イの各点を結ぶ線の中央辺から約1.3メートル程その地域内に入つた地点(シ点)に公示札一本(木製、プラカード式。長さ約1.92メートルある角棒の先に、縦約三七センチメートル、横四六センチメートルの松板を打ちつけたもの。その内容は、仮処分当事者の氏名、仮処分事件の件名、事件番号と執行吏が係争土地に対する債務者の占有を解いて、その土地を保管していること、債務者は係争土地に立ち入り、立木を伐採したり、整地作業をしてはならないこと、この命令をおかし、また公示札を破棄すると、刑罰に処せられることを記載したうえ、右係争土地について、別紙のとおりの表示をしたもの。)を立てておいたところ、その後執行吏による第一回の点検が行われた同月二〇日までの間に、被告人が工事現場に現われ、「こんなところにあるのは邪魔だ」などといつて、自己の使用人に命じて、その公示札を同図面中ア、イの各点を結ぶ線の中央辺の地点から、ア、×、イの各点をもつて囲まれた三角形の土地内に約6.4メートル程入つた地点(ス点)従つてもと公示札が立つていた地点からは約7.7メートル程はなれた同一地番の土地内に移動させたことが認められる。しかしながら、これまでに詳細認定してきたとおり、右のように、公示札を移動したといつても、その移動した距離は同一地番内の約7.7メートル程であり、しかも移動前の位置よりは移動後の位置の方が幾分なりと高所にあつて、むしろ公示の効果があると思われるばかりでなく(執行吏代理川島洋治は司法警察員に対する供述調書中において、その趣旨の供述をしている。)、もともと本件仮処分の目的たる土地については、その土地が一筆の土地のうちの一部であり、しかも既に整地されて、一面平坦な土地となつていたにもかかわらず、その周縁に標柱を設け、繩を張るなどして、その範囲を明確にする措置を講じていなかつたので、概ね三角形をしているその土地の南方および東方の両辺すなわち実況見分調書添付図面で示せば、ア、イの各点を線およびア、ソの各点を結ぶ線に関する限り、さきに説示したように、その地形ないし土地の現況上、これを確認することができたとしても、残る北方の一辺すなわち同図面上のソ、クの各点を結ぶ線(前記私道が設けられていた部分)は、たとえ公示札に記載された図面(当時現存していない右私道が記入されている。)と現地とを丹念に対照してみても、被告人ないし事情に通じている工事関係者はともかく、その他の者にとつては、これを判別することが容易でなかつたものと思われ、従つてその公示札に記載されている内容すなわちその七畝歩の土地が執行吏の占有保管する土地であること(立入禁止の不作為を命ずる処分も付記されている。)を公示するうえにおいては、その公示札を前記態様において移動しても、また移動しないで、もとのままにしておいても、顕著な差異がなかつたのであるから、被告人が前記のように公示札を若干移動させたというだけでは、その公示札による公示の効用を滅却ないし減殺させたものとはいうことができない。そして、右の理はたとえ被告人において、後日整地作業をするのに邪魔になるため、あらかじめ公示札を移動したものであつたとしてもかわらない。その他本件に現われたすべての証拠を精査しても、公示札を移動させることによつて、その公示札による公示を無効ならしめたことの証明がえられないので、この公示札を移動したことによる封印破棄の点について、被告人は無罪であるといわねばならない。もつとも前記(三)において、不動産侵奪の事実に関する控訴趣意に対する判断をした際、説示したように、被告人は一時中止していた整地作業を再開しようと考え、昭和三九年五月初旬頃すなわち右のようにして公示札を移動してから約二箇月余経過した頃、国吉隆らをして、つづいて同月下旬頃には大原友次郎らをも動員して、原判示七畝歩の土地内にブルドーザーを入れて、土地の切り崩しなどの作業をさせ、その頃から同年九月下旬頃までの間に、その七畝歩の土地の全域にわたり、約三ないし四メートル程掘り下げさせて、同所を整地させた事実があるので、若し被告人の公示札を移動した意図が、所論のように、整地作業の妨げとならないようにすることにあつたものとすれば、たとえその後しばらくの間作業を中止していたとしても、作業再開の際、公示札を移動しておいたことが生かされることとなるので、少くとも右のようにして整地作業を再開し、土地の現況に変更を加えたのは公示札の効用を事実上滅却ないし減殺させたとみられないでもない。しかしながら、証拠、ことに前掲実況見分調書、大原友次郎の前掲検察官調書によると、その作業を中止していた期間中に、被告人が前記のように約7.7メートル程移動させて立てておいた公示札が、被告人以外の者によつて抜去されて、付近に倒されていたこと(その状況は昭和三九年二月二八日に実施した前記実況見分調書添付の写真二二のとおり。)および執行吏による第一回の点検が行われた同年二月二〇日(この点検に際し、執行吏が移動されていた公示札を旧位置に復したことも考えられる。)以降整地作業が再開されたのちの同年六月一八日までは執行吏による点検がなされていないこと、すなわちその公示札が倒されたことについては執行吏が一切関与していなかつたことが認められる。そうすると、一旦適法に設置された公示札は、被告人がその設置場所を移動した後、執行吏および被告人以外の何者かによつて、引き抜かれ、付近に倒されたままの状態で放置されていたのであるから公示札による公示の効果が事実上減殺ないし滅却されていると考えることができるので、たとえその後において被告人が土地の現況に相当大規模の変更を加えた事実があつたとしても、被告人が公示札を移動した行為と土地の現況に変更を加えた行為との間に、前記のように、被告人の意思とは無関係に他人の行為が介在し、しかも被告人が移動した公示札の効用を無効ならしめる程の事態を生じさせ、その結果もはや当該公示札による公示を無効ならしめる態様による封印破棄罪が成立する余地をなからしめた以上、たとえ被告人が右のようにして他人の行為が介在していることを知らないで、土地の現況に変更を加えたものであつたとしても、その土地の現況に変更を加えた行為と被告人が当初に公示札を移動した行為とを相互に関連させ、両者間まつて差押の標示を無効ならしめたと解することが相当でないこというまでもなく、ましてや若し執行吏が第一回の点検時に被告人の移動した公示札を立て直しており、その後に何者かがその公示札を引き倒し、さらに被告人が整地作業をしたという経緯にあつたものとすれば、被告人の右両行為間の関連は全く絶たれることとなるのであるから、被告人が公示札移動後に土地の現況に変更を加えた事実があるということは、本件について、公示札による公示を無効ならしめたことの証明がないとする当裁判所の前記判断を妨げるものではない。(最高裁判昭和二九年一一月九日言渡判決、集八巻一一号一七四二頁および最高裁判所昭和三三年三月二八日言渡判決、集一二巻四号七〇八頁各参照)ただ証拠、ことに仮処分点検調書謄本二通(記録四九四丁の昭和三九年六月一八日付および記録五〇〇丁の昭和四〇年一〇月二日付各調書)と大原友次郎の検察官調書によると、前記のようにして何者かにより、公示札が抜去されたので、昭和三九年六月一八日仮処分債権者の申請により執行吏が第二回目の点検を実施し、その際公示札を立て直したにもかかわらず、整地作業の完了した同年九月下旬頃までの間に、その公示札が再び除去されて、その所在が不明となつた事実が窺知されるので、若し右点検に際して設置された公示札を除去した点も起訴の範囲(起訴状記載の公訴事実では、公示札を移動しとなつているので、除去した点は起訴されていないとも考えられる。)に含まれているとすれば、少くとも右点検時以降公示札が再び除去されるまでの間は刑法上保護をうくべき差押の標示がほどこされたことになるのであるから、その間に整地作業が行なわれていれば、封印破棄罪が成立する余地が残されていると考えられないでもない。(なお大原友次郎は前掲調書中において、作業を開始した昭和三九年五月下旬頃に公示札が立つていた趣旨の供述をしているが、仮にこの供述が真実であつたとしても、その公示札は執行吏以外の何者かによつて勝手に立てられたものであることが、前記点検の経過等に徴し明らかであり、従つて執行吏が職務上設置した公示札ということができないであるから、その公示札は点検にあたり執行吏によつて立て直された前記公示札の場合とは異り、刑法上保護をうくべき差押の標示ということができない。)しかしながら、本件に現われたすべての証拠をつぶさに検討しても、右公示札が工事期間中のいかなる時期に、いかなる態様において除去されたものかどうかおよびその除去当時において整地作業がどの程度に進抄していたのかどうかの点はもちろん、その除去に被告人が関与しているのかどうかの点も、またその公示札が執行吏によつて立て直されたことを知つていたのかどうかの点も一切確認できないので、被告人が前記態様による封印破棄罪をおかしたことの証明が十分でないといわばならない。以上の次第であつて、いずれにしても被告人が封印破棄罪をおかしたことの証明が十分でないということになるので、原判決が被告人について原判示封印破棄罪の成立を認めたのは、事実を誤認したものであつて、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるといわねならない。論旨は理由がある。

以上判断したとおりであつて、原判決には、原判示第二の事実のうち封印破棄の点について、判決に影響をぼ及すことの明らかな事実の誤認があり、本件控訴は理由があるから、量刑不当に関する控訴趣意(小川弁護人ほか一名の趣意書第四点、小川弁護人の補充書第二および松本弁護人の趣意書第一ないし第三点)に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により、原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い、当裁判所において、ただちにつぎのとおり自判する。

(罪となるべき事実)

原判示第二の事実を左のとおり訂正するほかは、原判示の事実のとおりであるから、これを引用する。

第二、千葉地方裁判所執行吏宮内辰蔵が債権者石渡文衛の代理人である弁護士半田和朗から委任を受け、被告人を債務者とする千葉簡易裁判所昭和三九年(ト)第四号仮処分決定正本に基き、昭和三九年二月一五日仮処分を執行して、千葉県市原市能満字下大貝塚一、九一四番の一四山林三反歩(2,975.20平方メートル)のうちの北側同番の一三に隣接する部分約七畝歩(694.21平方メートル)の土地に対する被告人の占有を解いて、これを執行吏宮内辰蔵の占有に移し、爾来同執行吏において占有保管していたところ、同年五月初旬頃から同年九月下旬頃までの間に、情を知らない国吉隆および大原友次郎らをして、ブルドーザーを使用し、右七畝歩の土地を切り崩し、削りとつた土は搬出させて、その土地の全域にわたり約三ないし四メートル程掘り下げさせて整地させ、もつて同執行吏の占有する右土地約七畝歩を侵奪し、

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人の判示各所為中拳銃を不法に所持した点(原判示第一の点)は銃砲刀剣類所持等取締法附則第五項により昭和四〇年法律第四七号による改正前の銃砲刀剣類等所持取締法第三一条第一号、第三条第一項に、不動産を侵奪した点(原判示第二の点)は刑法第二三五条の二に、脅迫の点(原判示第三の点)は刑法第二二二条第一項、罰金等臨時措置法第三条に、傷害の点(原判示第四の点)は刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第三条、刑法第六〇条に該当するところ、不動産侵奪の罪を除くその余の罪については所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上の四罪は刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により結局犯情が最も重いと認められる不動産侵奪罪の刑に法定の加重をした刑期範囲において処断すべきところ、被告人は昭和三七年一月二二日東京高等裁判所において、私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、同行使、詐欺罪により懲役一年六月に処せられ、その際特別の計らいをもつて、保護観察付にて、五年間その刑の執行を猶予されたもかかわらず、その猶予の期間中に、原判示第一ないし第四の犯行を重ねていること、原判示第一の拳銃を入手した先、これを処分した先、いずれもが暴力団員であること、原判示第二の犯行には自己の利益のためには法を無視しても強行する態度が現われていること、原判示第三の犯行が無頼の徒の所業に類似していることや原判示第四の犯行がしつようかつ強暴であるばかりでなく、その現場に暴力団員とおぼしき者が姿を見せていることなどを勘案するときは、犯情が悪質であつて、その刑責は軽視できないのであるが、原判決後に仮処分債権者石渡文衛から原判示第二の隣接土地を買取り、紛争の根源をたつたこと、原判示第四の被害者との間に示談が成立していること、原判示の犯行後被告人が自重し、謹慎していることや被告人が病身であることその他被告人の年齢、家庭の状況など被告人に有利な事情をもあわせ考量したうえ、被告人を懲役一年六月に処し、原審および当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い、全部被告人に負担させることとする。

(一部無罪の判断)

本件公訴事実中、被告人は千葉地方裁判所執行吏宮内辰蔵が債権者石渡文衛の代理人弁護士半田和朗の委任を受け、被告人を債務者とする千葉簡易裁判所昭和三九年(ト)第四号仮処分決定正本に基き、昭和三九年二月一五日千葉県市原市能満字大貝塚一、九一四番の一四山林2,975.20平方メートル(三反歩)のうち約694.21平方メートル(七畝歩)の部分について仮処分をなし、これに対する被告人の占有を解いて執行吏宮内辰蔵の占有に移し、かつこれを公示するため同所中央部付近に右占有保管の趣旨を記載した公示札を設置し執行していたところ、翌一六日頃から同年九月下旬頃までの間において、ほしいままに右公示札を移動させブルドーザーなどを使つて同所を切り崩して整地し、もつて執行吏の施した差押の表示を無効ならしめたとの点(昭和四一年五月三一日付起訴状記載の公訴事実。罪名封印破棄。罰条刑法第九六条。)は、さきに詳細説示したとおり差押の標示を無効ならしめたとの点についての証明が十分でないのであるが、右の点は原判示第二の不動産侵奪罪と刑法第五四条一項前段の関係にあるものとして起訴されたものと認められるので、右の点について、主文において、特に無罪の言渡をしない。<以下略>

(目黒太郎 藤野英一 中久喜俊世)

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